2016年1月29日金曜日

愛とお金

愛はお金で計れますか?

お金をかけるということがイコールその人を大切にしているということなのでしょうか。

そのあたり、ちょっと迷いますね。

自分が大切にされているのか、相手を大切にしているのか・・・考えると出口がありません。

心地よい関係、それが愛のすべてなのかなと思ったりもします。

渇愛

好きな人ができて、その人と付き合い始めると、いつの間にか「大切にされたい」という感情が生まれてきてしまう。

これをエゴと言うならそれはそれでよいのだけれど、エゴであってもそれを打ち消せないならそれはつらさかもしくは自分勝手でしかない。

大切にするというのも、おそらく十人十色のやり方があって、自分の望む「大切にされ方」でないと、どこかしっくりしなくて悲しくなる。

ああ・・・書いていて思いついたことがある。

これが、いわゆる渇愛というやつなんだな。

仏教の煩悩の最たるもの、それが渇愛。

少しまた仏教の勉強してみようかな。

彼を愛するために・・・

愛することは傷つくこと

マザー・テレサでしたっけね、こんなことを言ったのは。
ただ、マザーテレサがここで言っている愛とは「アガペー」なんだと思う。

つまり、ごく一般的な友人間や男女間の愛には当てはまらない気がする。

傷ついてなお愛するならば、それほど尊いことはないのだろうけれど、人間てそんなに高尚な生き物ではない気がする。

傷つくのが好きな人間なんていないでしょ?

リスカとか物理的な傷を好む人はいるけれどね。

2016年1月27日水曜日

愛の種類

世の中にはとても自分を愛している人がいる。

自分を愛せるのはとても幸せなことだと思う。

しかしそれは得てして、他人に対する自慢だったり、ひいては嫌味になることもある。
でも、そういうひとはそれに気づかない。
それはそれでまったく構わないし、人を変えることなんて土台無理なのだから、こちらが対処すればいいだけのこと。

ただね、少しは相手のことも考えないといけないと思うの。

自慢して、得意げに語って、相手が「うん、うん、そうだね」と相槌を打ってくれているのに気づかなかったら、ただの馬鹿だと思うの。

だけど、さっきも書いた通り、人を変えることは土台無理。

だから私はそういう人から去るの。

だって、それしか手段がないんだから・・・

愛してたって、それしか手段がないんだから・・・

2016年1月26日火曜日

恋人

男の人と付き合うのは楽しいし、それは幸せなんだけれど、なにかとても重要なことに違和感を感じながら付き合うのなら、それはもうやめた方がいいと思った。

自分の価値観を相手に押し付けるつもりは全くないけれど、かといって尽くすばかりが能じゃない。

尽くして尽くして食い物にされたことがあるから、よくわかる。